南岸低気圧が通過!

今日の夜から明日の朝にかけて、南岸低気圧が通過していきそうです。

南岸低気圧(なんがんていきあつ)とは、日本列島南岸を発達しながら東に進んでいく低気圧のこと。冬から春(概ね毎年1月から4月にかけて)にかけてよく発生する。暖気を運んでくる日本海低気圧とは対照的に、日本に寒気を運ぶことが多い。また、日本列島の太平洋側に大雪や大雨を降らせることが多く、特に東京を含む関東地方南部における大雪のほとんどは南岸低気圧によるものと言われている。

だそうです。玉ねぎを植え付けた圃場にとっては、根の活着を促す雨になりそうですが、大雨は困ります‼それと、今日は春ジャガイモの植え付け圃場の準備をしているので、なんとか夜まで待ってほしいな~!お願いします。お天道さま。

モノクロとカラー

“モノクロ(monochrome)とカラー(color)”またまた対義語の話ですが、
“モノクロ”は、“モノクローム (monochrome) は、直訳すると「1つの色」を意味し、1色で描画・印刷・表示等された図画のことである。略称モノクロ。”とあります。
対して“カラー”は、“色(アメリカ英語: color/イギリス英語: colour)。特にモノクロームに対して複数の色を表示した状態、及び表示できる機能のこと。”とあります。
普段私たちが一般的に使う“モノクロ”と“カラー”の意味だと思います。しかし、“人の心理”や“社会(世界)の様相”などについても、モノクロやカラーという言葉を使う事があると思います。
近代技術の発達により、テレビ、カメラ、映像機器、印刷機器などなど、以前はモノクロだったものもカラーになり、様々なところで世界が色付き美しく見える様に思います。が、表面的に美しく見せる技術とともに、“人の心理”や“社会の様相”も“モノクロ”から“カラー”に変化しているのでしょうか?私はそうは思えません。
モノクロを単色、単一、画一ととらえると、カラーは多色、多様という事になるかと思います。今、様々な技術の発達により大変便利になりましたが、“人の心理”や“社会(世界)の様相”は単一化、画一化されつつあるのではと思います。そういった意味では“カラー”から“モノクロ”へ向かっている様に思えてなりません。多様な世界があるためには、認め合うという事がとても大事だと思います。互いを認め合い“カラフル”な世界を見たい!そう思います。

“機心”とは

“マニュアルとオートマティック”の項でも書いた“機心”という言葉について、少し書いてみたいと思います。
“機心”とは、「荘子」外篇・天地第十二に出てきます。
「機械有るものは必ず機事あり。機事有るものは必ず機心あり。機心胸中に生ずれば、則ち純白備わらず。純白備わらざれば、則ち神生定まらず。神生定まらざる者は、道の載せざるところなり。」とあるもので、意味は
『機械がある者には、機械のための仕事ができてしまう。機械のための仕事ができると、機械の働きに捕らわれる心ができてしまう。機械の働きに捕らわれる心ができると、純白の心が失われ、純白の心が失われると、心は安らぎを失ってしまう。心が安定しなくなると、人の道を踏み外してしまう。』
だそうです。わかりやすい話もでていました。
子貢が南の楚に遊びに行き、晋に帰る途中、漢水の南を通った。見ると、一人の老人が畑仕事をしている。地下道にわざわざ入っていって、甕を担いで上がってきては、畑に水を注いでいる。大変な重労働のわりに、その効果は少ない。子貢は「機械のからくりを知らないのですか?一日で百畦の畑にも水をあげられますよ。小さな力で効果は大きいのです。あなたも試してみませんか?」お百姓は仰ぎ見て「どうするのかね?」子貢「木をくりぬいて、からくりを作るんです。後ろは重く、前は軽く。小さな力で溢れるほどに多くの水を汲み上げられるのです。其の名を「はねつるべ」といいます。」お百姓は、むっとしたあとに、笑って答えた。「私は先生に言われたことがある。『機械がある者には、機械のための仕事ができてしまう。機械のための仕事ができると、機械の働きに捕らわれる心ができてしまう。機械の働きに捕らわれる心ができると、純白の心が失われ、純白の心が失われると、心は安らぎを失ってしまう。心が安定しなくなると、人の道を踏み外してしまう。』私は機械の便利さを知らないのではない。機械に頼って生きようとすることが恥ずかしくて、そうしないだけだ。」子貢は、自らのおせっかいを恥じて、返す言葉を失った。
う~ん。示唆に富む話です。自分も“機心”に満たされない様に心がけたいと思います。

未来のドライバーか?!

トラクターで写真を撮りました!未来のドライバーか?!

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末っ子の長男“祐二”めっちゃ笑顔です。

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長女“百合”と二人で。

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次女“佐知”と私も入り四人で。祐二だけ前を向いて真剣に操縦しています。みんなどんな大人になり、どんな事がしたい人になるでしょうか?“健康であれば、どこにいて何をしていても大丈夫。自分の好きな事を探してね。”という想いと、“近くにいて一緒に農業がしたいね。”という想い。どちらもあります。でも、本心を言えば“近くにいてここで一緒に農業がしたい!”という想いの方が強いです。それには、今自分がどんな風に動き、どんな背中を子供たちに見せられるのか、が大事だと思うのですが…。

北風と太陽

あらすじ

あるとき、北風と太陽が力比べをしようとする。そこで、旅人の上着を脱がせることができるか、という勝負をする。

まず、北風が力いっぱい吹いて上着を吹き飛ばそうとする。しかし寒さを嫌った旅人が上着をしっかり押さえてしまい、北風は旅人の服を脱がせることができなかった。
次に、太陽が燦燦と照りつけた。すると旅人は暑さに耐え切れず、今度は自分から上着を脱いでしまった。
これで、勝負は太陽の勝ちとなった。

教訓

手っ取り早く乱暴に物事を片付けてしまおうとするよりも、ゆっくり着実に行う方が、最終的に大きな効果を得ることができる。また、冷たく厳しい態度で人を動かそうとしても、かえって人は頑なになるが、暖かく優しい言葉を掛けたり、態度を示すことによって初めて人は自分から行動してくれるという組織行動学的な視点もうかがえる。

これがイソップ寓話におけるあらすじと教訓ですが、今日私が書きたかったのは、淡路島においてこの時期、玉ねぎ圃場の準備をするには、北風と太陽 どちらかではなく、北風と太陽 どちらもが必要だという事です。以前にも書きましたが、淡路島の玉ねぎ作りは稲作の後作に作るのが主流です。そのために田んぼを乾かし畑にする時、夏の様に気温が高い時には、太陽の力だけでも田んぼは乾きます。しかし冬の気温が低い時期には、太陽の力に加えて風が土中に空気を送り込む力が必要です。でないと、穏やかに晴れの日が続いても、木の陰や山の陰になる部分の土は乾いてこないからです。今年は暖冬であまり強い北風は吹きませんが、やはり冬には冬らしい寒さと風がいるんだなぁと思い、そういうところでも“自然の冥利(みょうり)”を感じています。